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涙ボロボロ

イタリアの芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチの優雅でふくよかなモナ・リザの手


石川啄木の「一握の砂」の「我を愛する歌」には

はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)樂にならざり
ぢつと手を見る

親友の金田一京助をはじめ、色んな人にお金を無心し、夜の町に出掛け遊女と遊び、
妻子には貧しい生活をさせていたとは知らず若い頃、石川啄木のこの詩に共感する
ものがありました。
社会主義に傾倒していた啄木のせめてもの社会風刺の歌だったのでしょう。

  ( ハンドモデルはまだ純真無垢な5歳の我が家のアイドル )

神さまから頂いた手。
白魚のようだなんて言われたことも遠い昔ありました。
でも人さまよりちょっと指は長いけれど親譲りのゴツイ指。
爪も短く縦と横の長さが同じ。
細くて長い爪に憧れました。

  (18歳の頃、東京大松寺の茶会にてお点前を披露 )

茶席では手の所作が一番目立ちます。
18歳で茶道を始め、それから今日まで、茶席では
いつも恥ずかしい思いをしていました。
そんなに働いた訳でもないのに人さまよりゴツイ指。

先日、そんな自分の手を眺めていたら涙ボロボロ。
ゴツイ指だからではありません。
今まで腱鞘炎で左親指を二度も手術をし、今では右の中指の関節に痛みがあり
通院していたのですが、くの字に曲がってしまいました。

掃除、洗濯、調理、編み物、書道、版画、刺繍、庭の手入れ、パソコン等々・・・
私の身体の器官の中で一番働いてくれたことに気づかされたのです。
そんなことで涙ボロボロ。

これまで悲鳴を上げているのにもかかわらず酷使してごめんね。
ゴツイ両手を撫でながら、今まで一度も手のあることに感謝できなかった
自分に恥じたのでした。

少しずつ身体の弱さを覚える今日この頃。
少しずつ天国へと近づいています。
身体のすべての機能がギブアップしても手を合わせて祈ることができますように。
弟子たちが睡魔に負けて眠りこけていた時も、イエスさまは祈られました。
そんなイエスさまを見習って最後まで両手を合わせ、祈りの人でありたいと思います。