3月13日の新聞、「プレハブ監禁死懲役13年」の記事に
目が止まりました。
大阪地裁は「最低限の尊厳を否定する非人道的な行為」として
両親に懲役13年の判決を言い渡しました。
畳一枚のプレハブ小屋の室温を前年の冬より5度低い10度に
設定、身長約145cmに対し、体重が約19キロと痩せ、
低栄養状態で凍死させたのです。
その子の名前は「愛里」ちゃん。
また10歳の長女に冷水のシャワーをかけるなど日常的に虐待、
暴行を加え、風呂場で死亡しているのが見つかり、父親が傷害の
疑いで逮捕されました。
「しつけという観点からかけ離れ、感情に任せて行われた理不尽な
もの」として懲役18年の判決を父親に言い渡しました。
その子の名前は心愛(みあ)ちゃん。
お二人とも名前に愛の文字。
ご両親の愛の結晶の証として付けられたお名前の愛里ちゃんと心愛ちゃん。
ここに至るまでには多くの要因があったことでしょう。
日本小児科学会の「子どもの死亡記録・検証委員会」の発表では、
虐待で殺されている子供の数は、推計で約一日一人にのぼるそうです。
「 父たちよ。
あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。
かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。 」
エペソ 6-4
主の教育と訓戒?・・・何のことと思われる方も多いことでしょう。
「教育」は行動による教え、「訓戒」は言葉による教えという違いが
あるようです。
ですから、行動においても言葉においても、私たちの全生活において、
主(イエスキリスト)がなされたように養い育てるということが求められています。
そのために、まず両親がこの主の教育と訓練の中を生きなければなりません。
それがなくして、どれほど聖書のことを教えたとしてもそれは虚しく、実体を
伴っていないものですから子どもたちは当然怒るでしょう。
子どもたちが、両親のあらゆる生活の中に、キリストの声と愛の行いを感じとる
ことができるように、両親は子供に対して向き合うようにと求められています。
我が家のリビングに掛けられている木彫りの壁掛け。
愛のない筆者のための聖句です。
時々、見上げては至らぬ自分を反省し、自戒しています。
上記の壁掛けの「愛は寛容であり、愛は親切です。・・・
のパウロの言葉の「愛」の字を「私」に置き換えて読むことを
お勧めします。
読み終わってご自身にご満足された方はご立派です。
きっとお子さんも素晴らしい人生を送られていらしゃることでしょう。
筆者などは最初の「私は寛容であり・・・」ですでに失格です。
愛のない者に、神は分かりません。
なぜなら神は愛だからです。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに
いのちを得させて下さいました。
ここに神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪の
ために なだめの供え物としての御子を使わされました。
ここに愛があるのです。
子は親の鏡と申します。
時には叱らなければならない時もありますが、基本的に我が家は
褒めて育てる・・・ことを心がけています。
大人でも自分で分かっているところを指摘されるとあまり良い気分
ではありません。
感情に任せて手をあげるまえに、その子のために一言お祈りする
ことをお勧めします。
両親に祈られて育つ子供はきっとこれからの世界をリードする
立派な人間に育つことに間違いありません。
世界中の子どもたちが太陽に向かって正々堂々とたおやかに、
すべての人を笑顔にさせてしまうひまわりのように育つことを
願っています。