人見るもよし、人見ざるもよし、我は咲くなり
先日、信仰の友から武者小路実篤の詩が書かれているこんなに
素敵なちぎり絵手紙が届きました。
今、世界中のお花たちはこんな気持ちで咲いているのでは
ないでしょうか。
そしてそのお葉書には「花の姿から人の前ではなく、神の前に
生きることを教えられます。」・・・と添えられていました。
ほんとうにその通りですね。
彼女は私よりも15歳年下ですが実に謙虚で優しく、誠実で
統率力あり、司会も率なくこなし、字は体を表す如くにお上手。
「ありがとう」と「ごめんなさい」を素直な気持ちで言える
非の打ち所がない素晴らしい聡明な女性なのです。
この春、某大学を退職しこれからはゆっくり過ごしたいとの
ことでした。
長い間、教員生活お疲れさまでした。
これからの人生、神と共に大いに青春を楽しんでくださいね。
筆者も20代の頃、武者小路実篤の名言に心惹かれ、
赤い二輪の薔薇のお花に「共に咲く喜び」と書かれた色紙を
額に入れて飾っていましたが、いつしかその色紙もセピア色に
変わり結婚を機に廃棄されました。
「 人間は神がつくったということは僕は信じられない。神がつくったものにしては人間は無情すぎ、不完全すぎる。
しかし、自然が生んだとしたら、あまりにも傑作すぎるように思うのだ。」と武者小路実篤は記しています。
人間ばかりでなく、花や鳥、動物、海の生き物などを注意深く観察すると、
自然が生んだとしたらまさに傑作すぎですよね。
筆者がいつも不思議に思う生き物は葉っぱや枝、土や石、その土地の風土にそっくりの擬態生物です。
武者小路実篤は「神がつくったものにしては人間は無情すぎ、不完全すぎる。」
と記していますが神は人間を不完全につくられました。
(創世記2章~4節には神が人間を始めて創造したアダムとエバの事が書かれて
います。そのアダムとエバは神に背き、その子どものカインは弟のアベルを嫉妬して
殺しています。)
人間が皆同じ性格で完全だったとしたら人生実につまらないのではないでしょうか。
人間は不完全に神によってつくられたので、聖書が与えられているのです。
完全になるために人間は日々努力する。そこに本当の幸せがあるように思います。
そして神は人間に選び取る自由を与えられました。
神を信じるも信じないも自由なのです。
イエスキリストは私たちの罪のために十字架刑に処される前に弟子たちに
教えられました。
「私が道であり、真理であり、命なのです」と。
4月12日(日)はイースターでした。
教会ではイエスキリストの復活の喜びのシールが貼られた卵が教会員に
一個ずつ配られました。
イエスキリストの十字架は我が罪のためなり・・・このことが理解できれば
人生バラ色ですね。
町中の赤い薔薇のお花を100万本送られたとしてもそれは一時の喜びに
過ぎず一生の喜びではありません。
世界中がコロナウイルス感染で不用不急の外出が制限されていますが、是非
聖書を紐解いて、あなたの心が薔薇のお花でいっぱいになりますようにと祈ります。
草は枯れ、花はしぼむ。だがわたしたちの神のことばは永遠に立つ。
イザヤ書40章8節