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医学は献体によって支えられている     9月 6日

それはあなたが私の内臓を造り、
母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

私は感謝します。
あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。
私のたましいは、それをよく知っています。

私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、
私の骨組みはあなたに隠れていませんでした。

あなたの目は胎児の私を見られ、
あなたの書物にすべてが書き記されました。
わたしのために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。

神よ。
あなたの御思いを知るのは、なんとむずかしいことでしょう。
その総計は、なんと多いことでしょう。

それを数えようとしても、
それは砂よりも数多いのです。
私が目ざめるとき、
私はなおも、あなたとともににいます。

           詩編139篇 13〜18節  ダビデの賛歌


弘前福音キリスト教会では毎月第一火曜日を 「オアシス会 」
として誰でも参加できる聖書の学び会を開催しています。

今月は弘前大学名誉教授であり、解剖学の元教授で現在東北女子大の
学長でもある河西達夫先生に献体についてお話しをお伺いしました。

河西先生ご夫妻は敬虔なクリスチャンでもあります。
今から50年ほど前の新婚当時、まだまだ献体への偏見もあり、献体も少なく
当時の医学生は大変ご苦労されていたそうです。
そんな時、献体が捧げられることがご夫婦にとって何よりの喜びだったそうです。
解剖の実習を終えられ帰宅したご主人さまのワイシャツの汚れをすぐ洗うのも
新婚でありながらとても感謝なことだったと奥さまはお話し下さいました。

解剖には三種類あり、河西先生は①の正常解剖がご専門です。
正常解剖の献体は血管から防腐剤を注入するので血管に異常がないことが
何よりの条件だそうです。

昭和24年、日本で初めて横浜市立大学献体運動( 有美会 )がはじまります。
松井石根大将未亡人も献体されています。
松井 石根は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
荒尾精の信奉者として、「日中提携」「アジア保全」の運動に生涯をかけたが、
ポツダム宣言受諾後、「南京事件」の責任を問われて極東国際軍事裁判にて
死刑判決を受け処刑される。

 昭和28年、秩父宮殿下も50歳で結核で亡くなられ献体されています。
 このことにも驚かされました。
 昭和天皇の弟の秩父宮殿下は 1935年(昭和10年)8月に弘前市の歩兵第31連隊
 第3大隊長に任ぜられ、弘前とは深いご縁があります。

昭和41年、弘前大学医学部「 白菊会 」が発足。
全国で六番目です。21名で発足、現在二名はまだご健在です。

白菊会とは生前すでに御自分の献体を申し出られた人々の会をいいます。
この会は今から約40年位前に、東京大学に初めて作られましたが、いまでは
日本の多くの医科大( 120校 )にこの会が作られています。
弘前大学白菊会の最初の理事長は河西先生でした。

献体とは
御自分の死後、自分の遺体を医学・医療の教育と研究のために大学に提供することです。
これによって、良医が養成され、また医学の研究が一層進歩することになります。
遺体を提供することによって私達の家族が、子孫が、また社会の人々がその恩恵を受ける
ことになります。
言わば献体は未来への社会貢献です。

歴代の理事長のうち、三浦義道氏は亀の子でご商売をされていて山口健二氏は弘前病院
入口で果物屋さんをされていた医学にはまったく関係のない職業でした。
このことにもまた驚かされ、尊いお働きに感動させられました。

文部省は医学生二人に献体一体ということらしいのですが葛西先生は5人で一体が
理想とのことです。
一日の解剖時間は3〜5時間。
週4回の解剖学の実習では週20〜30時間の授業となり、二人で一体は時間的に
消化できないそうです。
解剖学は人体の構造を知ること、そして何よりも生命の尊厳を知ることと教えられました。
河西先生は普段は非常に穏やかで謙虚なお人柄なのですがいざ授業となるととても
厳しい先生とのことです。

「 病人は痛いと言えるけど、死体は痛いと言えない 」・・・
河西先生がふともらしたこのお言葉に奥さまはいたく感動したそうです。

尊い献体により河西先生はこれまで1000体以上解剖されました。
今、その学生たちが立派な医者となり社会に貢献されています。

弘前大学白菊会50周年記念行事として来る9月15日( 木 )
弘前大学医学部基礎大講堂で「 弘前大学白菊会のあゆみ 」と題して
河西先生の講演があります。
入場無料ですので万象お繰り合わせ上、是非ご参加下さい。