山あいの一軒宿、温泉三昧の愛燐館に別れを告げ、一路賢治さんを訪ねて高速道を走ります。
左手に残雪の岩手山が見えました。岩木山よりも男性的です。
花巻は弘前よりも一足早くさくらが満開です。
宮沢賢治記念館に到着です。
下ノ 畑ニ 居マス 賢治
道しるべの黒い部分に書かれています。
詩や童話、農業、化学など多様な活動を繰り広げた宮沢賢治の生涯や思想をたどる記念館。
賢治愛用のチェロや自筆原稿をはじめ、ビデオやスライド、図書資料などが環境・信仰・
科学・芸術・農村・総合・資料等の部門ごとに展示されています。( 展示室は撮影禁止 )
賢治の生きていた頃( 明治29年〜昭和8年 )は社会構造も人々の生活も、今とは
すべて違っていました。
世界中で戦争が多く、地震、津波、凶作、不景気が続き不幸に悲しむ人々が多くいました。
賢治は妙法蓮華経に深い感動を受け、その精神を生きました。
天性の鋭敏な感受性と表象力で、法華経の教えに近代科学を加え創作し、当時の貧しい
農民の生活を豊かにする努力を尽くしました。
盛岡高等農林学校で地学や農学、化学をおさめ、アインシュタインの相対性理論など
新しい科学を学び、豊かな自然と四次元宇宙を科学者の目で捉えた作品を書きました。
賢治はそれまで誰も思いつかなかった方法と考えで、多彩な多くの作品を生み出し、
独自の世界を作り出します。
賢治は一時、人造宝石業を行うことを考えましたが実現せず、農学校教師となり
貧しい農村にふれ、後に羅須地人協会を開き、農業と農村に科学と芸術を生かした
新興文化の実現を目指します。
記念館入口に咲いていた翁草。
4月27日の誕生花。花ことばは清純な心・何も求めない・背信の恋
開花後の花の種の姿を翁( おじいさん )の白髪に見立ててつけられた名前です。
どこかで小鳥もチッチッと啼き
かれ草のところどころに
やさしく咲いたむらさきいろの
かたくりの花もゆれました
山男は仰向けになって
碧いあおい空をながめました。
童話 「 山男の四月 」より
記念館入口の斜面にカタクリのお花がやさしく風にゆれていました。