ようこそ「天女花フォトギャラリー」へ  このブログはふるさと弘前の四季と東北の温泉を紹介しております。

太宰治 まなびの家   11月11日

大通りが工事中で渋滞ぎみのため、いつもは通ることが無い
小路を走ると庭先が真っ赤な紅葉。
思わず車を止めました。

太宰治ゆかりの地。
太宰治まなびの家でした。
( 青森県弘前市御幸町9番地35 )


入口の引き戸を恐る恐る開けるとすぐ目の前に薄暗い中で
太宰治がこちらを凝視している大きな写真に思わずギョ!!

誰もいないのかな?と入るのを躊躇していると中から中年男性
が「 どうぞ 」と声をかけてくれました。
ご案内しますということで太宰が下宿していた二階のお部屋に
案内してくれました。

手前の8畳間は当主のご長男の本太郎の部屋で奥の6畳間が太宰のお部屋。

藤田家当主豊三郎が、本家である松森町で酒造業を営む名家高島屋から
分家するとともに建てられたのがこの住宅です。
旧金木町の大地主津島源右衛門の6男修治( 太宰治 )の下宿先となりました。

太宰が使用していた机と茶箪笥が当時のまま置かれており、
下宿の雰囲気が偲ばれます。

当時太宰はこの蓄音機で義太夫を聴いていたそうです。

部屋には本太郎が撮った写真が陳列されています。
太宰と本太郎は兄弟のように接していたそうです。

太宰が着ていた学生服や着物も展示されています。

鴨居には当時太宰が記した方程式のような記号が刻まれています。

      昭和21年銀座 バー「 ルパン 」にて

この有名な写真は1946年写真家・林忠彦氏によって撮影されました。
その林氏自身から太宰の友人であり先駆的研究者の小野正文氏に四つ切の
オリジナルプリントが寄贈され、現在、弘前郷土館に収蔵されています。

弘前太宰治下宿保存会が移築、公開記念にこの複製を津軽写真家の最長老
高松吉治氏に依頼、高松氏はオリジナルの保存の良さに感激し、なんとしても
全紙に延ばさせてほしいと懇願。

最初小野氏はオリジナルの大きさを尊重すべしという意見であったが、
オリジナルは別にあるのであり、遠くから来た人たちに喜んでもらえるので
あればとこれを承諾。この複製の完成に至りました。

高松氏によればこの写真の魅力は、太宰が座る椅子の4本の足に反射する光と
その光が作り出す四角錘、その線を斜めに切る太宰の姿勢にあると言います。
全紙に延ばした結果、より迫力をもって迫ってくるという高松氏自賛の写真。

ちなみに今私が所属している「 フォト光彩 」は高松吉治先生が亡くなられた後、
ご長男の隆清先生が引き継がれご指導を受けています。

バー・ルパン 東京都中央区銀座5−5−11

昭和3年創業。太宰治永井荷風泉鏡花、菊地寛、直木三十五坂口安吾遠藤周作
開高健など数え切れないほどの作家が出入りした有名な文壇バー。秋山庄太郎林忠彦
など多くの写真家も出入りしたそうです。
太宰治らを撮った林氏の写真が店内に飾られています。
たもの木を使ったカウンター、戦時中接収されかかった鉄脚の椅子など、昭和11年の
改築時からの雰囲気を伝え続けています。
昭和26年以来、名物ママの弟がバーテンダーをつとめています。
野坂昭如を最後に常連作家は姿を消したそうです。

「 太宰治まなびの家 」( 旧藤田家住宅 )
太宰治が昭和2年から5年までの3年間、官立弘前高等学校へ通うために下宿していたこの家は、
弘前市指定有形文化財「 旧藤田家住宅 」として、2006( 平成18 )年3月現在の場所に再建され
一般公開されています。
大正時代の「 中廊下型平面 」住宅様式は貴重です。