「 七重八重花は咲けども山吹の
実のひとつだになきぞ悲しき 」
太田道灌が鷹狩に出て雨に遭い、蓑を借りようとしたとき、
そこに住む若き女性が簔( ミノ )の代わりに山吹の一枝を
差し出したという有名な古歌。
庭の山吹のお花、あっと言う間に満開です。
我が家には一重と八重の山吹のお花が寄り添って咲きます。
山吹のお花が咲くといつもこの古歌を思い出すのです。
貧しくも凛として相手を思いやる優しい心で生きている作者の気持ちに
毎年心洗われます。
山吹のお花は実がなりません。
そこでこの山吹のお花の枝を道灌に無言で差出した女性は山吹のお花の実と
傘の代わりの簔に引っかけたその高い教養にも感心させられます。
後に道灌はこの女性の取った意を知り自分の無学を大いに恥じたそうな・・・
太田 道灌(おおた どうかん)は、室町時代後期の武将。
生誕 永享4年(1432年)
死没 文明18年7月26日(1486年8月25日)
扇谷上杉家の家宰。享徳の乱と長尾景春の乱で三十回以上の合戦を戦い抜き、
ほとんど独力で主家の危機を救った。
戦や外交交渉のみならず、江戸城の築城や歌道に至るまで、文武に優れた才人
として知られるが、その才能を恐れた主君・上杉定正に暗殺される。