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台風10号

過ってないほどの大型台風という報道に一日がかりで庭の植木の補強や
鉢植えを家の中に取り込んだりと汗を流しました。
これで万事OK!!と深夜に青森県を北上するという台風を静かに待ちました。
ところが雨も風もほとんどありません。
今朝3時半、夜空を見上げると満天のお星さま。
これからリンゴの収穫時期を迎える弘前、台風の被害が何も無くホッとしています。

我が家の垣根として植えてあるブルベリー。
枝の先から毎日2〜3個づつ紫色に熟します。
これからまだまだ収穫できそうです。

二回目の収穫です。( 前日も同量 )
そのまま食べたり、ヨーグルトの上にトッピングしたり、食べきれなければ
冷凍保存します。

庭に植えてあるスチューベン、美味しそうな紫色に変わり始めました。
今年は25房実が付きました。
カメムシや蜂除けに網目の細かい台所で使うネットをかぶせてみました。
今のところどの虫からの被害もありません。
娘は紙袋を主張したのですが、私は太陽の光りをいっぱい浴びて欲しいという
願望があり、リンゴの無袋ならぬネットです。

大好きな茗荷。
そうめんの薬味にしたり、茄子の味噌煮に使います。
ブルベリーのように少しずつ収穫できると嬉しいのですが
茗荷は一気に芽を出し、すぐに花が咲いて食べられなくなります。
そこで今日は全部収穫。
甘酢漬けの作り方をネットで調べ早速漬け込みました。
右側の小さい瓶は昨年の甘酢漬け。まだ美味しく頂けます。

「茗荷(みょうが)を食べると物忘れする」と昔から言い伝えられていますね。
その真相を以下にピックアップしてみました。


★ この俗説の由来は、ある非常に物覚えの悪いお坊さんが亡くなり、その墓から
茗荷が生えてきたためだと言われるが、本当のところは、少々趣の違う話である。  

 茗荷の名前の元になったお坊さんは、周利槃特(しゅりはんどく)と言う。
周利槃特は、天竺(インド)の北部に生を受け、兄の摩河槃特(まかはんどく)と共に
お釈迦様に弟子入りした。

兄は賢く、お釈迦様の教えをよく理解し、深く仏教に帰依したが、弟の周利槃特は
物覚えが悪く、自分の名前すら覚えられなかった。
そのため、托鉢に出かけても、お釈迦様の弟子として認められず、乞食坊主扱いをされ、
お布施を貰う事が出来ない。

お釈迦様はこれを憐れみ、「周利槃特」と書いたのぼりをこしらえて
「明日からこれを背負って托鉢に行きなさい。もし名前をたずねられたら、
これでございますと、のぼりを指差しなさい。」と言われた。

次の日から托鉢の時にのぼりを背負っていくと、人々はお釈迦様の書かれたのぼりを
ありがたがり、たいそうなお布施をいただく事ができるようになったそうである。  

 さて、兄は、物覚えの悪い弟に、何とかお釈迦様の教えを覚えさせようと手を尽くして
やるが、弟の方は、朝に覚えていたものを昼には忘れてしまう。

周利槃特は、自分のおろかさに涙を流して途方にくれた。
それを見ていたお釈迦様は「自分が愚かであると気づいている人は、知恵のある人です。
自分の愚かさを気づかないのが、本当の愚か者です。」と言われ、ほうきを周利槃特に渡して
「ごみを払おう、あかを除こう」と唱えて掃除をしなさいと教えた。

 その日から周利槃特は、雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も、毎日「ごみを払おう、
ちりを除こう」と唱えながら掃除をし続けた。
やがて「おろか者の周利槃特」と呼ぶ人はいなくなり、「ほうきの周利槃特」と呼ばれるように
なった。

そして何十年経ち、周利槃特は自分の心のごみやあかを全て除き、阿羅漢と呼ばれる聖者の位に
までなったのである。

お釈迦様は、「悟りを開くということは決してたくさんのことを覚えることではない。
わずかなことでも徹底すればよいのである。
周利槃特は徹底して掃除をすることでついに悟りを開いたではないか。」と大衆の前でおっしゃった。

その後、周梨槃特が亡くなり、彼のお墓にあまり見たこともない草が生えてきた。
彼が自分の名を背に荷(にな)ってずっと努力しつづけたことから、この草は「茗荷(みょうが)」
と名づけられたということである。