ああ主のひとみ まなざしよ、きよきみまえを 去りゆきし
富める若人 見つめつつ、 なげくはたれぞ 主ならずや。
ああ主のひとみ まなざしよ、 三たびわが主を いなみたる
よわきペテロを かえりみて、 ゆるすはたれぞ 主ならずや。
ああ主のひとみ まなざしよ、うたがいまどう トマスにも
み傷しめして「 信ぜよ 」と 招くはたれぞ 主ならずや。
きのうもきょうも かわりなく 血しおしたたる み手をのべ
「 友よかえれ 」と まねきつつ 待てるはたれぞ、 主ならずや
暑さ寒さも彼岸まで・・・
春分を過ぎた二日後、弘前は午後6時を過ぎたあたりから水分をたっぷり含んだ
重い雪が冬のけじめをつけるかの如く思いっきり1時間ほど名残り雪が降りました。
今冬は冬の厳しさを例年如くに味わうこともなく、おだやかに冬が過ぎ去りました。
そのためか軒下に春一番に咲く福寿草のお花たちにもいつもの感動がありません。
「受難週」
受難節最後の一週間(3月24日から3月30日まで)は、受難週と呼ばれます。
イエス・キリストが十字架につけられたのは受難週の金曜日で、その前日の木曜日には
レオナルド・ダ・ヴィンチの名画で有名な、「最後の晩餐」が行われました。
この晩餐の席でイエス・キリストは、同席した弟子たち一人一人の前にひざまずいて、
彼らの足を洗われました。
身体の中で最も汚れた場所=「足」を弟子たちに差し出させ、御洗いになった
この木曜日は特に「洗足木曜日」と呼ばれます。
イエス・キリストはこのことを通して、御自身の架かられる十字架こそ、わたしたち人間の
内面にある最悪の汚れ=「罪」も引き受け、赦し、清める救いのしるしであることを御示しに
なられました。
今日の聖研祈祷会ではイエスキリストの「 最後の晩餐 」にちなんで「 聖餐式 」を
行います。イエスキリストの十字架の苦しみを味わいつつパンとブドウ液を頂きます。
「 あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる 」 イザヤ一章十八節
イエスキリストの十字架によって私のすべての罪が許され、永遠の命を信じ、日々主に
すべてを委ね生きることのできる幸いに感謝です。