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軍師官兵衛


   
 ”ようこそ! 弘前城へ ” 明るくお茶目な修学旅行の生徒さんです。
北の大地で伸び伸びと良い環境で教育されている校風が伝わってきます。

古城の秋を彩る「 弘前城菊と紅葉まつり 」が11月9日まで弘前公園植物園内で開催中です。

園内には二万三千鉢の菊のお花を多彩な演出で展示しています。
菊人形は29体。市公園緑地課の女性作業員6人が束ねた菊を人形の骨組みに差し込み、イグサで結びつける根気のいる作業です。

三の丸庭園には毎年その年の大河ドラマの菊人形が飾られます。
今年は「軍師官兵衛」の高松城水攻め・官兵衛と光、おね・本能寺の変・囚われの軍師・新しき門出・松寿丸と又兵衛、光の菊人形が来場者を楽しませています。

大河ドラマ「 軍師官兵衛 」の中で、黒田官兵衛がついにキリスト教の洗礼を受けるシーンがありました。
当時、大阪城の近くには、豊臣秀吉が建設を許可した南蛮寺( キリスト教会 )があり、そこで、官兵衛をはじめ多くの武将たちが洗礼を受けました。

この歴史的事実は、日本側の資料にはありませんが、当時、秀吉の信頼を得て活動していたイエスズ会宣教師ルイス・フロイスが『 日本史 』の中で次のように記録しています。

「 時に天下は太平で、各地の武将たちは繁雑に政庁を訪れるために大阪に出入りし、その機会に我らの説教を聴聞し、我らの主なるデウス( 神 )から選ばれた者がつねに洗礼を受けていた。

彼らは、我らから何一つ物質的な代価を求めることなく、純粋な意図から改宗し、それまでの堕落した生活を一変し、妾女、快楽、非道、不正義、残忍、その他の悪に染まった生活を放棄した。

こうしたことは、我らの聖なる教えに大いに光彩を放たしめ、異教徒たちが我らの教えについて抱いている評価を高めしめた」

フロイスは、この記録の中で、黒田官兵衛について「 これら受洗した者のうちには関白の顧問を勤める一人の貴人がいた。

彼は優れた才能の持ち主であり、それがために、万人の尊敬を一身に集めていた。
関白( 秀吉 )と山口の国王( 毛利輝元 )との間の和平は、この人物を通じて成立したのであり、彼は播磨の国に非常に多くの封録を有している」と紹介しています。

戦国時代に、60名を超える大名がキリシタンになったとイエズス会の記録には残されていますが、なぜ、彼らがキリシタンになったかは謎とされていました。
ある歴史学者は、大名たちが、ポルトガルとの貿易で利益を得るために、名目上のキリシタンになったと推測しますが、フロイスの記録を読むと、その改宗は、はなはだ理論的であり、例外はあったとしても
多くの武将たちはキリスト教の真理にふれ、自らの罪を悔い改め、その人生が根本的に変わったことを示しています。

キリシタン大名として知られていた高山右近に導かれ、官兵衛が大阪の南蛮寺を訪れるようになったのは彼が救いを求めたからでした。

人の命がボロきれのように粗末にされ、毎日が死と隣り合わせの戦いの中で、官兵衛は生きる意味について真剣に考えたはずです。

人はどこから来たのか。
人間とは何者なのか。
人は死んだらどこへ行くのか。
日本古来の宗教にその答えはありません。
しかし、南蛮寺で聞いた「 人はデウスによって造られ、デウスによって愛されている。人はデウス
の御心に従って生きることこそ本分である 」というメッセージは官兵衛の心を打ったのです。

官兵衛は、キリシタンになった後、「 神の恵み 」という言葉を使っています。
その思いは終世、変わることはありませんでした。
                           ( クリスチャン新聞10月号より )

                 人とは何者なのでしょう。

                あなたがこれを心に留められるとは。  詩編8編 4節