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賢治さんの香りと心を求めて  パート Ⅶ


                           
                      北上川 ( 正面は岩手山 )



              ふるさとの 山に向いて 言うことなし

                         ふる里の山は ありがたきかな

                                      石川 啄木


橋の欄干にこの啄木の俳句が書かれています。
純真無垢な乙女の頃、啄木に親近感を覚え良く詩集を読みました。
啄木と同じ目線で岩手山を見ることが出来感動です。

啄木は1886〜1912年、賢治は1896〜1933年。
10歳違いで共に26歳37歳の若さで没した詩人であり、歌人であり、なにより東北が生んだ
国民的人気の文学者です。


          ♪ 匂い優しい白百合の 濡れているよなあの瞳

            想い出すのは 想い出すのは 北上河原の月の夜

遠い北の地の、まだ見たこともない北上川をこの歌詞から想像し、北上夜曲を口ずさんでいた
遠い遠い消えかけた過去の記憶がよみがえります。
当時思い描いていた北上川も、今と変わらず岸辺は草が生い茂り、広くゆったりと流れていました。

                     

賢治ゆかりの地 岩手県盛岡市材木町「 光原社 」
宮澤賢治 イーハトーブ童話 「 注文の多い料理店 」出版の地。
この童話集は賢治が生きているうちに出版されたただ一冊の童話集です。

               すぐ裏の北上川岸辺から見上げた光原社     

大正13年 ( 1924 ) 花巻農学校に在職中に詩集「 春と修羅 」を自費出版
イーハトーブ童話 「 注文の多い料理店 」を賢治29歳の時、宮沢賢治が名付けたこの
「 光原社 」より出版されました。

     

           北上川の石積護岸( 盛岡市保存建造物 )
この石垣は、主に江戸時代から明治にかけてそれぞれのお店の負担により建造されました。
そして現在も立派に役目を果たしている、全国にも例のない石積護岸です。