1月25日。
昨晩12時過ぎに寝たのに朝4時に目が覚めてしまいました。
ラジオで「明日へのことば」が始まっていました。
いた藤野高明さんのお話でした。
障害児・者の教育や福祉の分野でのすぐれた実践記録などに
対して贈られる賞です。
福岡の小さな町のある朝、小学2年の子どもが弟と、近所の
小川に無造作に捨ててあった鉄パイプで遊んでいた。
それは銀色に光り、少年と弟にとってはなんとも魅惑的な外観
をしていたのだ。
藤野高明さんプロフィール
1938年12月 福岡市に生まれる。
1946年7月 小学2年の時、不発爆弾により両眼両手首を失う。
1971年3月 日本大学通信教育部卒業。
1972年4月 大阪市立盲学校高等部時間講師。
1973年9月 同校教諭。
2002年3月 大阪市立盲学校退職。
戦争が終わった翌年1946年の夏のことだった。
すさまじい爆発が7月の夏雲を切り裂いた。旧日本軍の不発弾だった。少年の弟は即死。少年は両手両眼を失った。10年以上文字のない日々を送った後、唇で点字を読む独特の方法を身につけて教師になる夢を実現した。退職と障害福祉賞を受賞してから20年・・・藤野さんが今思うことをお話し下さいました。筆者と同じ時代を二重苦の障害を抱えながら力強く歩まれてこられた藤野さんに衝撃を受けました。そのような苦難の道を歩まれた藤野さんですが「文字の獲得は光の獲得」。そして「私は人と時代に恵まれた」とおっしゃられました。
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