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 史跡 尾去沢鉱山 1300年の歴史 (5)

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慶長年間ー金鉱採掘坑道

        今から380年以前に金を採掘した坑道です。       

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たぬき堀

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支柱組み立て

    岩盤の弱い所を杉丸太等により枠組み保護し、落盤、崩落を防ぎます。

 

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                              岩盤に十字を刻みイエスキリストに祈りを捧げる夫婦。

  切支丹に対する弾圧は島原の乱(1637~1638)の後、しゅん烈の度が

  加えられ諸国の切支丹宗徒はへき地の奥羽地方、ことに鉱山に潜伏しました。

  これは山法の一つとして鉱山に認められていた治外法権的慣習が宗徒の潜伏に

  適していたからです。

  小坂鉱山は明治2年(1869)に国の経営(官営)となりました。

  明治政府は日本を近代化するために欧米から外国人技術者たちを雇い入れました。

  明治6年(1873)にドイツから赴任したクルト・ネット―もその一人で銀の

  増産に貢献。

  近代初と言われるクリスマス・パーティーを自宅で小坂の人々と共にお祝いして

  います。

  自ら設計した「 教師館 」に暮らし、小坂の暮らしを多くのスケッチに残して

  います。

 

 

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出口近くには季節はずれのイルミネーションがキラキラ光り輝いていました。

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坑内から出口まではエスカレーターでした。

これもまた(*_*;びっくりでした。

 

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 小坂鉱山事務所

明治38年、鉱山発展のシンボルとして建設されました。

小坂町の代表的近代化遺産です。

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ルネッサンス風の外観とイスラム風またはサラセン風と呼ばれる

バルコニー付きポーチが特徴です。

和風を取り入れた天井や、玄関ホールの優美な螺旋階段も魅力的で、

     近代西洋建築の傑作ともいわれています。 クルト・ネット―の小坂町のスケッチやクリスマスの様子などを見ることができます。