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弘前城天守新スポット   10月

曳家工事で77.62m北西地点に移動し、三層の天守の上部がここ禅林街の一番奥にある禅林広場から見えるようになりました。
これまで弘前公園の外から天守が見えることはなかったようです。
手前の建物は弘前工業高校。
この日、韓国から三人連れの観光客も訪れていました。
これから公園外の新たなスポットとして人気がでるかも?・・・と新聞に。

禅林広場。
何年振りでしょうか・・・普段はあまり訪れることはありません。
左手には津軽家の菩提寺長勝寺があります。

禅林広場の左手に鎮座する忠霊塔。
第二次世界大戦で戦死した戦没者の供養塔です。
右手には岩木山を見ることができます。

昨晩岩木山に二度目の雪が降り頂上が白くなっていました。


高台の禅林広場からの弘前城天守( 一番奥の森の中の中央 )風景。
広角レンズ使用ですので肉眼ではもう少し大きく見えます。

津軽華子さまの菩提寺長勝寺の入り口。

三門
1629年、2代藩主・信枚(のぶひら)によって建立された三門一戸の桜門で、屋根は入母屋造で
カヤブキ。高さが16.2mもある壮大なものである。
下層の花頭窓や扉の漆塗り部分のほかは素木造りで雄渾さを感じさせてくれる。

岩木山神社の桜門と同じように、すべての柱について下から上までの通し柱とする特殊な構造。
江戸時代前期の重要な建築遺構の一つです。

長勝寺の嘉元鐘( かげんのしょう )

1306年の銘がある(1941年重要文化財指定)銅鐘は長勝寺三門をくぐり抜けてすぐ右手にある。
寄進者の筆頭に鎌倉幕府の執権だった北条貞時法名があり、さらに津軽曽我氏の統領や安藤一族と考えられる名前なども刻印されている。
鎌倉の円覚寺の銅鐘と同一銘文なので、姉妹鐘だという説もある。

最勝院の鐘楼、弘前昇天教会の聖鐘と共に町の音風景として市民に親しまれています。

本堂と庫裏
山号は太平山で曹洞宗津軽家の菩提寺
日光東照宮と並び、称される江戸時代初期の代表的な建物。
境内には鎌倉時代の梵鐘、蒼龍窟の五百羅漢、本堂、庫裏などいずれも素朴ながら広壮な伽監である。

三門から禅林街を望む。
弘前は「 みちのくの古都 」といわれるように、実に多くの寺院があります。
城の西南の禅林街と呼ばれる西茂森町。
また城の南には各宗派の寺院がずらりと並んでいる新寺町。

長勝寺を背に見た禅林街。
両側に寺院が軒並み並んでいます。
北の守りの拠点として重要視されていた弘前は、神社仏閣に至るまで必要な方角や地形が計画的に
配慮され、文化的、政治的な意味を含んで、城と密接につながって防衛線を形成しています。
33の寺を集めた長勝寺構えは城の裏鬼門を守る重要な役割を担っていましたが、現在、よく整った寺院街のただずまいは独特の風情を感じさせてくれます。
観光客は必ず訪れる名所となっています。