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今日はうれしいバプテスマ   4月20日

                  つみのこの身は いま死にて

                  きみのいさおに よみがえり

                  かみのしもべの かずにいる

                  きよきしるしの バプテスマ

先に新生させられたクリスチャンにとって、この世で一番うれしいことは一つの魂が 父、御子、み霊によって救われることです。
今日は我が教会の若き美しい女性の洗礼式がありました。人は一体どのようにして神を信じ受け入れることができるのか・・・
彼女の許可を得てここに彼女の信仰告白をアップさせて頂きます。


                       信仰告白

まず、私がイングリッシュ・フェローシップに居る間や、今回の洗礼を受けるにあたり、
お祈りしてくださっていた方々に感謝申し上げます。

私は典型的な無宗教の家庭で育ちました。無宗教なのですが、仏壇と神棚があるという家庭です。
クリスマスの意味も解らず祝うことはしていたので、何か特定の信仰を持っているというよりは
代々伝わった習慣や儀式をそのまま維持している、典型的な日本の家庭かと思われます。

クリスチャンの方々と交わる機会はないまま育っており、初めて交流をもったクリスチャンは、
ローリー・エリオットさんが最初です。
たまたま三年前、大学の独逸語のクラスで一緒になり、そこのご縁が繋がって、こちら( 弘前福音キリスト教会 )のイングリッシュ・フェローシップにお邪魔するようになりました。

教会に来るきっかけは、キリスト教に興味があったわけではなく、自分の勉強していた学問を広げようと思ったら、知らぬ間にキリスト教に繋がっていきました。

イングリッシュ・フェローシップを通して、クリスチャンの方々との交流が深まると、自分が行っている震災支援や医療従事者としての仕事を通しても、主を知る機会が与えられました。

知らず知らずのうちに、キリスト教が自分の生活に及ぼしている影響に気づき、自分は主に見守られているのだと思うようになりました。

教会に通って二年ほど経つと、自分の中に洗礼を受けたいという気持ちが湧きましたが、自分はクリスチャンとしてやっていけるのだろうかと思う気持ちがあり、決心がつきませんでした。

心の中でローマ人への手紙八章十八節の「 I know that nothing good Iives in me 」
日本語では「 私は私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです 」という部分を、気付くといつも唱えていました。

その時の私の価値観は、第一に優先するべきは学問、二番目に仕事という順位がありました。大学院で勉強して、仕事をして、自分のプライベートな時間は一切無いという生活を続けると、くたくたになって疲れてきます。
丁度、大学院の研究室でいい年をした大人同士の幼稚な争そいもあり、学歴をいくら積み上げても、人間性が低ければ何を行っても駄目だと思うようになって、学問に対する虚しさと自分の内にある罪を感じました。

そんな日々を続けているうちに、印象的な夢をみました。
夢の中で私は「 貴女は日本人だからここに隠れて居なさい 」と言われて、どこか小さな部屋に隠されていました。
自分の置かれている状況は、私が日本人だから迫害されているという事は解りました。
究極に追いつめられたその時に、狭い小さな小部屋で自分が一生賢明に読んでいたのは、論文や学術書ではなく聖書でした。

目覚めてから私は、自分が本当に大切だと思っているのは学問じゃないのだと気づきました。
きっと長い人生を生きていくうちに、今は健康ですけれども老いや病、争いなど沢山の精神や肉体的な危機を経験していくと思います。
その時に大切なのは、この世の知識や学問、世間的な名誉などではなく、もっと人としての本質的なものを優先する必要があるのだなと感じました。

世の中にあるもの様々なものが不真実に近い中で、この世の真理が何なのかという事を考えていくと、それは聖書の中に書かれている御言葉なのではないかと思います。

私はキリスト教に興味があったわけでもなく、教えを強制されたわけでもありませんが、自分の学問を通してキリスト教に繋がり、クリスチャンの方々と交流する事で御言葉を理解し、

「 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」 ( ローマ 5章7〜8節 )

とあるようにキリストの十字架の贖いによって、自分が救われると確信し、主を信じ、洗礼を受けようと決意しました。( 以上 )

親愛なるT・Iさん 受洗おめでとうございます。

「 人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。」
                       ルカ 9章25節

「 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名の他には、私たちが救われるべき名としてはどのような名も、人間に与えられていないからです。 」 使徒 4章12節


                   うまれかわりし よろこびは
 
                   なにになぞらえ たぐうべき

                   わが身もたまも みなささげ

                   み名をたたえて 日をすごさん

     凛として頭を低く、うつむいて咲くうすむらさきのカタクリ。受洗されたT・Iさんのようです。

( カタクリのお花の写真は 2014’ 4’ 22 岩手県花巻温泉郷県立自然公園 新鉛温泉
                                  ” 愛隣館 ”遊歩道にて撮影 )